上で書いたことを時々考えるようになったのも、保坂和志の小説と出会ったことも関係しているかもしれない。『カンバセイション・ピース』は今年の7月に出た小説で、結構分厚い本なのだけれど、ストーリーを説明すると結構あっけない。というか、ストーリーを説明することに意味がないと言えばいいのか。
一応小説家である主人公と、その家に集う人々の会話と思考と記憶が描かれるという話。外に出てどこかへ移動するのは、横浜ベイスターズの応援か、家の所有者であった叔父夫婦(だったけ?)の墓参りといったことだけ。この小説ではむしろ家が主人公といってもよくて、人はそこに偶然集い会話をするだけなのだが、その家のもつ記憶とか、「死ぬことといなくなることはちがうことだ」といった問が繰り返し主人公*1の強い思いが描かれる。その生と死の境界とか記憶のことが、一軒の家のもつ空気のような時間と混ざり合って、すごく面白い。
場面としては、やっぱり庭の水撒きのシーンが一番印象的で、主人公が水を撒きながら、木登りの思い出とか幼い頃の従姉弟たちとの記憶を思い出している。そのような記憶の喚起と、水が樹木の葉に当たって不規則にはねかえる描写が巧くつながっているように見えて、とても気持ちがよいのだ。
読む側としては、俺も昔に祖母の家に一年くらい住んだことがあって、その家の間取りとかが思い出されてくる。だから読んでいる間も、『カンバセイション』という小説を読んでいるのだけれど、自分が頭に思い浮かべるのは、昔自分が住んでいた家で、小説の中の記述と自分の記憶がごちゃごちゃに混ざりあってしまう。でも、そのごちゃ混ぜ感が悪い感じじゃなくて、小説を読み終わるのが惜しくなる。そのだらだらと読み進めていく感じと言えばいいのか、読んでいる時間そのものの感じがとても楽しくて、俺としては珍しく一ヶ月以上かかって読み終えた。だらだらといっても、読んでいる時間自体が楽しいのだから、結構スリリングというか弛緩した感動*2というものが立ち昇ってくる。読み終えたのだけれど、別に何かが終わる話でもないので、また途中から読んでみたり、ぱらぱらとめくってみたり、という感じで読んだりする。

*1:飼っていた猫のチャーちゃんが白血病で死んだことのショックによる

*2:サスペンス・愛・友情・お涙頂戴という感じではない