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川上弘美『光ってみえるもの、あれは』
大鳥さん(主人公・江戸翠の遺伝子上の「父親」)とキタガーくん(翠の担任の北川先生、国語担当)が、とにかく良い。最後の方になるにつれて、だんだんと物語的になっていき、一応主人公の「成長」のような感じで終わる。そういうストーリー自体には惹かれないが、大鳥さんが愛子さん(翠の母親)と別れた理由を翠に話すときに、馬と出会ったことがなんだかわからないけど別れる契機になった、というエピソードは面白かった。この本の各章のタイトルは詩からの引用なのだが、その中にレイモンド・カーヴァー「夜になると鮭は・・・」がある。何かのインタビューだか対談だかで川上氏は、レイモンド・カーヴァーが好きというようなことを言っていた気がする。最近の創作傾向*1をみると、カーヴァー的なものに惹かれているのかなぁと。雑誌「ku:nel」7号に載った短い話「月世界」もそんな感じだった。彼女のぬらりつらりとした幻想譚も結構好きなのだけれど・・・。
竹熊健太郎『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』
表題のマンガ原稿料の話は、作者・出版社・読者の生産/消費構造としては重要だろう。歴史的な経緯と、現時点での見通し(全面的に賛成とは言えないが・・・)を簡潔にまとめた良書。ただ私の関心としては、Part1「マンガ業界のハナシ」より、後半の「マンガ本のハナシ」「マンガ作家のハナシ」というマンガ紹介・批評の方が面白く読めた。宮崎駿へのインタビューで、「映画では観客に空間を把握させることが難しい」*2という話や「水平運動よりも垂直運動のほうが観客にわかってもらい易い」という面白い話*3を引き出したりするところはさすが。あと、竹熊氏自身もマンガ原作をした経験からだろうが、原作者と作画者の関係についての話が最も熱がこもっているいるように思われた。

*1:あやかしとか動物とか出てこないリアリズム的?な感じ

*2:この部分を読んで、保坂和志の『カンバセイション・ピース』を思い出した。あの小説は、家とその家に住む(住んだ)人びとのいる空間を言葉によって現出させようとしたものと読むことが出来るだろう。ここをこう曲がると階段があって、そこを上ると右手に部屋があって・・・そこでは昔あいつがあんなことをした・・・とか(適当です)。保坂氏の小説では、言葉という平面から小説/空間を「立ちあげる」ということが念頭にあったようだ。私的には、昔一時住んでいた祖母の家の間取りが思い浮かんできたが・・・。

*3:直接の引用ではなく、自分なりの要約が混じってます。為念