中学の友人に会ったことが引き金かはわからないが、『こどものおもちゃ』を読み返してみた。ちょうど中学校のときに妹が『りぼん』を買っていたのでつられて読んでいた、というよくあるパターン。ついついはまってしまって、面白く読んだ記憶がある。読み返してみると、生意気な子どもとかトラウマっぽい話とかは目新しくないなあと感じる一方、やっぱり面白く読んでしまう何かがある。それは、作者のある意味での「まじめさ」によるものと、それに対する「照れ」によるものがあるからで、どうも俺はこういうのに弱い気がする。「照れ」とは、主人公・倉田紗南の母親の髪型とか、恋愛事になると茶化すくせとかのことだ。しかし、子どもと大人の視点を交互に織り交ぜながら、作者自身マンガを書きながらちゃんと考えているあるなあと感じるし、「わたしはマンガを書いていて大変だけど楽しいぞ」的な作者の声が聞こえてくる気がする。そういう作品(マンガに限らないけど)に対する真摯な態度は読んでいて気持ちがいい。
 さらに言うと、あの動きのない絵も上手くはまっている。登場人物の顔は平面的で、動きはぎこちなく、絵のタッチは、この頃のいわゆる「りぼん的少女マンガ」なのだが、その絵と内容のテンポ(?)が微妙にずれているところが面白くてよい。別に「絵が上手くないからマンガが面白くない」なんて野暮なことは言ってない。要は、そこで描かれる絵や構図と内容との関係がマンガを面白くするのだと思う。
 なんてたいそうなこと言ってしまった。いろいろと受け売りが入っているかもしれないのでご勘弁を。